その人は、夢を手で書き実現する。「てがきびと」

第7号 「試し書きで夢を描く人」寺井広樹

世界の文具店を巡って集められた試し書き。それはアートであり、文化人類学的な資料でもありました。


第7号 「試し書きで夢を描く人」寺井広樹

なるほど、試し書きか。文具店のサインペンやボールペン売り場に置いてある、ご自由にお試しください、っていうあれですね。確かに、こりゃ究極の「手書き」だなあ。

── でも、良くそこに目を付けたもんですね。以前から興味があったんですか、寺井さん?

いいえ、全然。実はヨーロッパ放浪中に、偶然出会ったんです。

── 放浪、ですか。

会社勤めを3年ほど経験しまして、どうしても今、世界を見ておかなきゃと思って、そういえばヨーロッパ行ったことないなあ、と。まあ、遅めの「自分探し」です(笑)。

── で、試し書きに出会っちゃった。

ええ。ベルギーのアールストという田舎町の、ショッピングセンターみたいな大きなお店で、確かノートか何か買おうとしたのかなあ。そうしたら、この試し書きがあったんです。

── どれどれ。おお、これぞ記念すべき1作目! 運命の出会いってやつですね。

すべては、この1枚から始まった!

わあ、可愛いなあ、と思いました。それでお店の人に、譲ってくださいとお願いしたんです。

── 変な顔されませんでした?

変わったアジア人だなあ、って思ったみたいですが、貰えました(笑)。

── それを皮切りに試し書き行脚が始まったわけですね。

はい、各国で試し書きコレクションを始めたんですが、どれも味があって。

── これはまた、精巧な絵が書いてあるなあ。万年筆のスケッチですね。

イタリアで手に入れたものなんですが、きっと万年筆の設計者か、そういったプロの人が描いたんじゃないかと思います。どこのメーカーのものか気になって、マニアの人に訊いてみたんですが誰も分からない。

── え~、じゃあ、プロトタイプを思わず試し書きしちゃったのかなあ。それにしても額装してあると、まさにアートですね。

謎ですね、この万年筆…

僕は試し書きって「無意識のアート」だと思ってるんです。落書きみたいなメッセージ性はないし、サインのように相手を意識しているものでもない。無意識に書かれたものですよね。でもこうやって鑑賞してみると、立派なアートになってる。実際、この万年筆のは『世界タメシガキ博覧会』って個展で飾っておいたら、「20万で譲ってください」と言われちゃいました(笑)。

「試し書きを集めてる時が、一番幸せなんです」

試し書きで世界が見える!

── こうしていろんな国のものを集めると、やっぱり、お国柄みたいなものは出て来るんですか?

そうですね。何が書いてあるのか気になって訳してみたりするんですけど、例えばこれはブリュッセルで入手したものでスペイン語で書いてあるんですが、日本語にすると「マジかっこ良くない? イエイ」

── あはは、なんか、スペインっぽい。おや、こちらは数式が書いてある。試し書きなのに。

ああ、これはインドです。さすが数学の国ですね。

── この黒い紙のは、漢字が多いですね。中国のかな? あら、「鬼」って文字がいくつか…。

中国の試し書きは後ろ向き、と言いますか。「お金がない」とか「リア充、爆発しろ」なんて書いてあるんですね。

── 切ないなあ。

ラテンでは試し書きも明るいのです

これは僕の想像なんですが、中国では今、ネットの規制が厳しいですよね。言いたいことも投稿できない。だから試し書きが、ハケグチとしてその代わりを務めているんじゃないでしょうか。

── 匿名性もネットどころじゃないですしね。じゃあ、世界共通で多く見られる言葉なんてあります?

多いのは「お母さん、大好き」って試し書きですね。

── え! そうなんだ! 書いたことないなあ、そんな文句。

でもね、「お父さん、大好き」っていうのは見たことありません。哀しいですね、お父さんって(笑)。

── 日本ではどうなんでしょう? 僕なんか、ただクルクルと曲線書いたりするだけだけど。

なんか切ないなぁ、中国の試し書きって…

漢字では「永」が多いですね。これは書道でいう「トメ」「ハネ」など全てが含まれているからでしょう。でもね、「永」って書くと、必ず誰かが「六輔」って書き足しちゃう(笑)

── 試し書きって、合作のアートですもんね。

永六輔さんの場合、トメもハネもありませんが

その話をラジオでしたら、永六輔さんご本人から、直筆のサインをいただきました。永さんも試し書きでは「永」と書くそうです。

── 著名人の試し書きというのも興味ありますねえ。

これ、ちばてつや先生からいただいたものなんですけど。

── わ、『あしたのジョー』の横顔! でも、これってサインじゃないんですか。試し書きしてください、なんて頼むと無意識のアートじゃなくなっちゃうでしょ?

ええ、ですから「サインの前に、インク出るかどうか、試していただけますか」ってお願いして(笑)

── アタマいいなあ。名前というと、なぜか芸能人の名前を試し書きしてるのが多いですね、山口百恵とか。

別所哲也さんは必ず、そう書くそうです(笑)。あと多いのは剛力彩芽とか、壇蜜とか。

── そんな難しい漢字、書かなくても良さそうなもんだけどな。

おお、確かにこりゃ家宝だわ!

芸能人の名前だけじゃなくて、その年に流行った言葉、例えば「倍返しだ!」とか「今でしょ」なんて良く書いてあります。試し書きは世相や時代性を表してもいるんですよ。これを見てれば今が分かる。だから僕はテレビ捨てちゃいました。

── なるほどねえ、試し書きで世界が見えちゃうわけだなあ。

そうなんです、僕は試し書きを文化人類学として捉えられるんじゃないかと思ってます。

夢はルーブル美術館での個展です

── しかしそうなってくると、蒐集も大変な作業ですねえ。

ええ、文具売り場で横目で見て「ああ、もうちょっと書き足されたほうがいいな」と思うと、30分ほどお茶して時間潰してみたり。で帰って来ると、もう捨てられてたりして(涙)。でもね、考えてみると日本では、正しい意味での試し書きになってないんですよね。

── え? どいういうことです?

日本だと試し書きして、納得すると、新品のペンから1本取ってレジに持って行きますよね。それはつまり、どれでもちゃんとインクが出るという、文具の出来を信頼しているからです。でもこれがアフリカのケニアだと、書き味を試すんじゃなくて、まずインクが出るか出ないかが問題(笑)。だから筆圧も高いんです。本気度の高い試し書き、といいますか。

愛用の、ケニアで買ったボールペンなり

── そうか、まず書けるかどうかなんだ。

日本だとインクが出るのは当たり前ですよね。でも、アフリカではそうじゃない。だから今ではペンで書ける幸せ、てがきびとでいられる幸せを、しみじみと噛みしめるようになりました。

── あの、ひとつ質問があるんですが、寺井さんご自身は、どういう試し書きを?

それがですね、全然書けないんですよ。

── え、書けない、って?

中国で買わされちゃったノートは、どこかで見たことあるようなGambol

これだけ沢山のアートに触れてきたからでしょうか、何を書いていいのか、さっぱり分からない。もう2~3時間、紙を前に呆然としてると思います(笑)

── 試し書きはともかく、寺井さんは完全にてがきびとですよね、ノートを拝見しても。あれ、このノート、中国製?

あらま、幼少期からお上手です!

Gambolというブランドです。実はね、中国で「その試し書き、ください」って言ったら、「代わりに何か買え!」って言われまして。愛用してるケニアのボールペンや、全くインクの出ないソマリアのボールペンなんかも買わされた文具なんです。そういう品物が家には山のようにある。で、一昨年の「文具の日」(11月3日)に『無駄に買った世界のブング展』なんてのもやったりしました(笑)。

── パソコンやタブレットにスタイラスペンで書く、という行為なんてどうです?

いやあ、全くダメなんですよ。どうも手書きという感じがしない。それにね、こういった試し書きは時間の経過と共に滲んだり色褪せたりする。そこも味だと思うんです。デジタルにはそれがないですから。

── とはいえ、ボロボロになっちゃうのも困るでしょ。

はい、保存には気を使います。猫のトイレ砂を買って来ましてね、その上に並べて湿気を防いでるんです。あれが一番ですね、猫は飼ってないんですが。

── あ、こちらは寺井さんが小学生の頃のノートですね。お、字も丁寧だけど絵が上手だなあ。勉強デキる子、って感じ。

僕が文具好きになったのって、小学校3年生の時のある思い出がきっかけになってるんです。これがそれなんですけど。

── ほうほう、「これをひろった方はおへんじください」って書いた小さな紙切れですね。何かのカードかな?

実は、これがきっかけでして

ええ、小学校のイベントで、これを風船に付けて飛ばしたんです。そしたら農業をやってますという28歳の男の方が「カリフラワー畑でひろいました。ひろきくん、しっかり勉強して下さい」という手紙とともにノート、鉛筆、消しゴムを添えて送り返してくれたんです。

── おお、そりゃ嬉しいですねえ!

風船で飛ばしたカードとその返信が、文具好きにさせてくれたんですね

で、母が「すぐお礼を言いなさい」と番号案内で探して電話をかけたんです。8歳と28歳ですから、まともな会話も出来ないんですが、その時、そのお兄さんが「じゃあ、ひろきくんが僕の歳になったら会おうね」と言ってくれまして。

── 20年経って、お会いになった?

はい。20年前には「お酒でも飲もう」という約束だったので1本下げて行ったのですが、実は彼も僕も全然飲めないのでした(笑)。ちなみに、その方の実家は文具店を営んでらしたんですね。彼とは今でも文通を交わしてます。

── それは文具好きになりますよ、いい話だなあ。試し書きに出会い、惹かれたのも実はそれがルーツだったりするかも。今、どれぐらいの収集量なんですか?

正確には数えてないんですが、もう2万枚は集めてると思います。国で言えば、ようやく100を超えて106ヶ国。

新刊『泣く技術』PHP文庫
寺井さんは涙活提唱者でもあるのだ

── それはすごい。また博覧会をおやりになる予定は?

5月のゴールデンウィークにブータンでやります。でもブータンは試し書き用の紙がない。皆、自宅から自分で紙を持って来るんです。持参した紙で試し書きして、そのペンを買って帰る。これは究極の試し書き(笑)。

── そのうち、ニューヨークのグッゲンハイム美術館のコレクションになったりして。

あ、いつか、ルーブル美術館で『世界タメシガキ博覧会』を開きたいんです。それが僕の夢ですね。

── じゃあ、コクヨからは「試し書き専門用紙」を出すように提案しておきましょう。

わあ、それはいいなあ! ぜひ、よろしくお願いします(笑)。

2014年1月31日

寺井広樹

試し書きコレクター

1980年兵庫県神戸市出身
2004年大手人材派遣会社に勤務
2007年海外を放浪 ベルギーで「試し書き」に魅了される
2009年「離婚式」を開始
2013年「涙活」を開始

試し書きコレクターのほか「離婚式」「涙活」の発案者としても知られている。
著書に『心が元気になる涙のキキメ』(マガジンハウス)
『涙活でストレスを流す方法』(主婦の友社)などがある