Vol.33 CASE
仮説の方向性と現実のギャップ、カフェチェアー「Toss」の開発が迷走したワケ。
掲載日 2025.11.17
Interviewee
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住谷 諭史(すみやさとし)
グローバルワークプレイス事業本部 ものづくり開発本部 シーティング開発部
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川上 吉平(かわかみきっぺい)
グローバルワークプレイス事業本部 ものづくり開発本部 シーティング開発部
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神村 勇輝(かみむらゆうき)
グローバルワークプレイス事業本部 ものづくり開発本部 デザインセンター
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東埜 真也(ひがしのしんや)
コクヨKハート
今回取り上げるHOWS DESIGNプロダクト
今回取り上げるHOWS DESIGNプロダクト
Toss(トス)
カフェ・ラウンジ用チェアー「Hemming(ヘミング)」の使い心地を継承する新しいカフェチェアー。立ち座りのスムーズな動作や姿勢の変えやすさを実現する座面形状、適度な重量感などはそのままに、木質素材を用いてカジュアルで温かみを感じるデザインに。さらに、コンパクトさ、整然性、収納性といった食堂空間で求められる機能性も兼ね備えている。
Hemmingベースに立てた仮説からスタートしたワークショップ。そこには思わぬ落とし穴が……!?
まずは製品開発に至った経緯と、具体的にどのように開発を進めてきたのかをお聞かせください。
住谷:2025年2月に、インクルーシブデザインを開発工程に取り入れたカフェチェアー「Hemming」を発売しました。今回新たに開発した「Toss」は、そのHemmingをベースに成形合板という木質の素材に変更したものです。ちなみにHemmingの背座は樹脂製です。(Hemmingの開発背景はこちら)
「Hemming」の立ち上げにも携わった開発チームの住谷さん
川上:企画立ち上げの当初は、Hemmingの基本的な商品コンセプトは踏襲し、背座が樹脂から成形合板に変わるだけという認識で携わっていました。そこで、材料が変わることでユーザーにとって使いにくさを感じることって何だろう?という観点から、今回もインクルーシブワークショップを実施しました。
神村:食堂という多様な人が利用する共創空間で身体的にも空間的にも心地よく過ごせるような椅子を探っていました。その過程の一つとしてこのインクルーシブワークショップのフィードバックを参考にできないかと考えていました。
川上:ワークショップにご参加いただいたリードユーザーは、東埜さんをはじめ、下肢・上肢にそれぞれ障がいを持っている方たち。コクヨの既存品である成形合板のカフェチェアー「Mycket(ミケット)」の背もたれ部分に穴を開けるなどちょっとした改造を施して、立ち座りやイスを動かす動作、使い心地などを観察したりヒアリングしたりしました。
なぜ、背もたれに「穴を開けよう」という発想になったのでしょう?
住谷:合板という素材は、樹脂のように希望の形に成形することが難しく、背もたれの上部を折り曲げて持ちやすくしたHemmingと同じ形状にはできません。では、別のアプローチで同じ機能を持たせるためにはどうすればいいか?と考えたときに、背もたれに穴を開けて形を工夫すれば持ちやすくなるのではないかという仮説を立てたんですよね。すでに世の中には背もたれに穴を開けているものもありますし。ワークショップでは、イスを引いて、座って、食事を終えて立ち上がって、イスをしまう……という食堂での一連の行動をリードユーザーの方に実演していただきました。
東埜:僕の場合は、脊椎損傷で下半身が麻痺しているので、例えば、イスにキャスターが付いているとちょっと動くだけでも怖いと感じてしまいます。あと、一つのイスに長時間座っていられるかどうかという不安要素も感じたので、例えば、座面が太ももの途中までしかない浅いものよりも、膝の関節部分まである深いものの方が身体的な負担が軽く安心できる、といった意見を伝えましたね。
リードユーザーの東埜さん
住谷:一方で、上肢に障がいを抱えていらっしゃる方は、主に手や腕が思ったように動かせないという特性がありました。この状態でイスを持つときにどこをどうつかむのか、という点に注目していたのですが、結論として「穴はなくても十分持てる」という回答だったんですよね。むしろ穴の位置や大きさによっては持ちづらさを感じてしまい、その方自身はイスの背もたれの上端を直接つかんで持ち上げていました。
東埜:確かに、穴の種類によってつかみやすさの度合いは違いましたね。角ばった穴だと手がかけづらく、丸いものだと手にフィットしやすかったです。穴があることで手がかけやすくて引きやすいと感じるものもありました。でも、なくても特に困ることはないのかな、という。
住谷:我々としては、穴があったほうが持ちやすいだろうと考えていたのですが、「あってもなくてもどちらでもいい」という思いもよらない結果になったわけです。こちらがいいに違いないと思ったものが相手にとっては不要だったというのは、ある意味で新しい気付きでしたね。
神村:この椅子にとって「穴は設けなくていい」ということが、今回のインクルーシブワークショップで導き出した僕らの答えになりました。
川上:そういった流れもあって、機能性だけでなく、食堂空間に馴染むインテリア性も大事にしていこうという方向にシフトしていきました。既存のカフェチェアーは、ちょっと事務的というか、冷たい印象を受けるものもあるので、「ごはんがおいしい」と椅子のデザインを結びつけるためにも、もっと温かみを感じる空間を演出したいな、と。
神村:そうですね。意匠性を優先したというわけではなく、あくまで意匠も機能の一部として、その辺りを何度も行ったり来たりしながら開発を進めて行きました。
整然と美しく。食堂空間に馴染むシンプルなデザインを追求
デザイン面でのこだわりはどんなところですか?
神村:一つは座り心地です。成形合板は素材上の制約も多いので、海外の椅子とかコクヨの過去の椅子たちを参考にしながら何度も検証しました。今回の答えとしては背もたれ部分に折り目をつけることで成形合板で身体に沿った形状を実現させました。もう一つは、食堂空間との調和を意識しました。食堂では同じ椅子が長テーブルにずらっと並んだり、椅子同士の距離が近い事例が多く見られたのでそのあたりを頭に置きながら、整然と見える背面のシルエットとかテーブル越しに見える背もたれの見え方を意識しましたね。
デザイン担当の神村さん
住谷:食堂はいろんな人が出入りする場所なので、そこで使われるイスの並び方もだんだん乱れていくんですよね。だから、たとえぐちゃぐちゃになったとしても、そう見えにくいようなラウンドしたラインのデザインになっています。
川上:例えば、背もたれが四角の形状だと、パッと見ただけでどっちの方向に向いているのか認識しやすく、ごちゃっとしている状態が一目瞭然ですが、背もたれをラウンドさせることによって、それが視認しづらくなるのではないかと考えました。
住谷:背もたれの幅を細くすることで、食事中に体を左右に回転しても、背もたれが広いものと比べてぶつかりにくいというメリットもあります。
神村:食事シーンで身体を回転する動作が多いというのは、食堂で実施した行動観察での気付きの一つでしたね。あと、Hemmingに引き続き椅子の引きやすさについても検証しました。Hemmingは下から手を引っかけて逆手で椅子を引く形状ですが、Tossは上から順手で椅子を引く想定なので、既存の椅子よりも少しだけ背が高くなっています。
持ちやすさを追求し、背もたれの高さも調整した
ユーザーの心理にいかにより添えるか。インクルーシブデザインとユニバーサルデザインの違い
HOWS DESIGNプロセスを取り入れた開発を振り返って、改めていかがでしたか?
住谷:先ほど挙げたようにデザインは違うものの、結果的にいえば、今回から新たに付加された機能はなく、Hemmingを開発した際のワークショップでの気付きをもとに作ったものがTossということになります。床のびびり音を軽減するグライド脚端も踏襲しています。
川上:今回の反省点でもあるのですが、僕たちは最初から視野が狭いワークショップをしてしまっていたんですよね。「穴が開いてれば引きやすいだろう、どんな形の穴がいいんだろう」という仮説を立ててワークショップにのぞんでいたことがそもそもの間違いで、実際にリードユーザーの方にもそれほど刺さっていなかったので……。
開発チームの川上さん
神村:リードユーザーの方たちと一緒にワークショップをしていて印象的だったのは、穴のあるなしといった物理的な問題もそうですが、心理的な部分に悩みを抱えている方が多いということ。例えば、過度な親切に対して申し訳ない気持ちを感じるとか、持ち物や動きで周りから注目されてしまうのが嫌だとか。川上くんが言ったように、僕らは答え合わせのようなスタンスで参加してしまっていましたが、問題提起をする側がフィルターをかけてしまっていると、インクルーシブワークショップは成立しないことを実感したとともに難しさも感じました。
東埜:障がい者の負担を分かったつもりでいる健常者は多いと思うのですが、実際は表面的なことだけで、本心まで理解してもらうのはなかなか難しいんですよね。想像以上に細かいところまで言語化しないと伝わらないし、本当に自分が求めているものまでたどり着きません。これは個人的な話ですが、僕が今履いている靴は短下肢装具といって、パラリンピック陸上選手が競技用の義足として使っている素材を取り入れた特別なもの。専門技師と対面で話し合いながら、素材や角度などをこまかく調整して自分専用のものを作っていただいています。少しでも造りが合わないと自分が怪我をする危険性もあるだけに、相手に本当の意味で分かってもらえるまで何度でも根気よく伝えます。3~4歳の頃から繰り返し関わってきた装具の開発と、今回のTossの開発がよく似た環境だったので、僕としては遠慮なく意見を言うことができたと思っています。
神村:そう言っていただけて嬉しいです。無理に開発側の意図をくみ取ったり空気を読んだりせず、ありのままの率直な意見を言っていただけるほうがプロダクトに反映しやすいです。
川上:僕たちが普段気付かないことを気付かせてもらえたのは、リードユーザーの方を交えたワークショップのおかげです。住谷さんがおっしゃったように、今回から新たに付け加えられた機能はないものの、ワークショップで「使いにくい」と評価されたものは反映しないという方向でみなさんの意見を取り入れさせていただいています。
HOWS DESIGNの目指すものとしては「みんなにとって使いやすいもの」になってくると思いますが、そのあたりはどう折り合いをつけたのでしょう?
住谷:今回でいうと「穴を開けることをやめた」というのが一つの選択。「万人が使いやすいもの」を目指すと、極端にいえばすべてが同じデザインになってしまう可能性があるんですよね。そうならないために、同じイスであっても製品ごとにコンセプトや価格、ターゲットなどを設定して取捨選択をしていく必要があって、それが開発する上での難しさでもあります。そういう意味では今回のワークショップも決して無駄ではなく、厚みの薄い樹脂から分厚い合板に変えることだけでも背もたれ自体がつかみやすくなるとか、背もたれを腕を下ろした自然な位置の高さにすれば穴がなくても持ちやすくなるといった気づきがあったといえます。
川上:僕たちが目指しているのは、ユニバーサルデザインではないんですよね。それこそ穴を開けるといった分かりやすい形状だけに注目してしまうと、もともと目指していたインクルーシブデザインにはたどり着けません。その違いを整理して改めて理解すべきだと感じています。今回の開発を通して学んだことですが、「機能」を付加するということは、使用する人に対して「誘導する」「強制する」というサインでもあるのかなって。機能性を意識して開発をしていると、いろいろと付加させてしまいがちですが、あえてそれを目立たせないようなものや、その機能がなくても使いやすいと感じるデザインを目指していくべきなのかなと考えたりもしました。
最後に、完成したTossのPRをお願いします。
神村:tossという単語は「和える」とか「調和する」という意味を持ちます。食事では食材はもちろんですが、食卓を囲む相手や盛り付ける器、照明の温度など様々な要素が調和しながら美味しく食べることを形成していると思います。この椅子はそんな食空間をつくる一つの要素としてノイズにならない、空間に馴染みやすいデザインに仕上がったと思います。食堂向けに設計された椅子ですが、カフェテリアや自宅のリビングやダイニングなどでも使っていただければ嬉しいです。
完成したTossに座ってみる。「背もたれが細いので体重を預けるのが少し不安でしたが、意外としっかり支えられますね」と東埜さん
住谷:今後、HemmingやTossにつながるシリーズを開発していこうという流れもあるので、今回の経験を生かしていきたいですね。
左から、川上さん、神村さん、東埜さん、住谷さん
取材日:2025.10.23
執筆:秋田志穂
撮影:松井聡志
編集:HOWS DESIGN チーム