結の森座談会
第五回 時代の中で変わっていった山里の暮らし
四万十の山と共に生きたご夫婦に聞く
荒廃が進む森林の整備を進める「結の森プロジェクト」。一方で、かつて多くの人々が暮らしていた山里は過疎と高齢化で地域の担い手が失われつつあります。森の姿だけでなく、人々の暮らしに活力を生み出していくにはどうしたらいいのでしょう。第5回は、「結の森」のほど近くで山里の暮らしの変貌を見つめ続けてきたご夫婦にお話を伺いました。

林 正弘さん、利子さん
ご主人の正弘さんは昭和5年生まれ。奥さんの利子さんとともに、「結の森」の傍らで本流に流れ込む支流の葛篭(つづら)川流域で山里での暮らしを営んできました。炭焼きや山中の田畑の耕作など、時代ともに姿を消していった営みを、自らの経験で語れる生き証人です。
子供の声でにぎやかだった山里が・・・
いま、流域中の小学校で統廃合が進み、廃校になった学校の校舎が目立つようになっていますね。お二人とも、この地域の小学校に通われていたそうですが、当時はどんな雰囲気だったのでしょうか。

正弘さんが通っていた小学校の跡地。廃校後の敷地には神社が移築されていました。
(国有林の伐採事業を行う)営林署があったころは、この山の奥は町みたいだったね。人がいっぱい暮らしていて、小学校の生徒も一番多いときには50人ぐらいいましたよ。
私も一時間かけて歩いて通ってましたね。その当時で全校生徒が40人ぐらいでした。先生も田野々(旧大正町の中心街)から歩いてくるので、朝10時に先生が着くんです。その先生が一人で1年から6年まで見て、午後二時になったらまた歩いて帰ってきましたよ。私が卒業してからやっと教員住宅が出来て、3人の先生が来るようになったんです。でも、営林署が事業を引き上げて、子どもがいなくなって次々に廃校になっていきましたね。
いま、この集落の小学生は何人ぐらいいるんですか?

崩れかかった廃屋。四万十川流域に限らず、多くの山村でこうした光景が見られるようになっています。
小学生も中学生もいませんね。高校生が三人と、小学校に上がる前の子が二人。それだけです。その子たちの親を除けば、あとは65歳以上がほとんどです。
今は年寄りばかりですよ。息子たちの世代の多くは高知(市)などに行って帰ってきません。この葛篭川流域でも30戸のうち10戸ぐらいしか跡継ぎがいないんですよ。年寄り夫婦も二人が元気なうちはいいけど、一方が亡くなれば、残ったほうは子供が引き取らなければ施設にいくという感じです。そういうあんばいで住む人がいなくなり、閉められた家屋が増えていますね。
若い人たちがいなくなっていった理由は、やはり仕事が少ないからなんでしょうか。
そうやね。やはり木材価格の暴落で林業が駄目になってしまったことが一番大きいですよ。材価が安くなったから誰も手入れをしなくなった。(林さん宅の)上の造林地も、森林組合に手入れしてもらっているんです。若い者がいないから自力では出来ないんですよ。仕事や雇用がないと若い者は帰ってこんです。ただ自然が豊かなだけでは生活できませんからね。
実際、どのくらい木材価格が安くなってしまったんですか?
今は、ピーク(昭和51年)の5分の1の価格です。ここ10年でガクンと落ちた。とくにここ5年、さらに去年、一昨年と暴落した。植えた当時はスギは36年で、ヒノキは42年で伐期齢を迎えて売れるということで県も推奨していたんですが、杜氏、35~36年の立木で1万円だったものが、今は2000円です。こうなってしまうと、間伐・枝打ちの手入れをするにしても補助の予算がつかないと無理ですね。
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