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その人は、夢を手で書き実現する。「てがきびと」

第14号 「揺るぎない意志を書く人」小林さやか

目標に向かってノートを埋め続ける。そこにある文字が、人との関係性を深め、夢を実現させてくれた。
第14号 「揺るぎない意志を書く人」小林さやか

その人がいるだけで、ゆるりと場が和み、明るくなる。ほんわりオーラだけれど、自分の言葉でていねいに、かつ、しっかりと話し、心の芯を感じさせる人。
元“ビリギャル”として世間に知られることになった小林さやかさんは、そんな女性だ。高校2年生で一念発起、慶應義塾大学に現役合格した実話が、書籍や映画として話題に。ビリギャル時代の受験勉強ノートには、合格を勝ち取るための強い思いが込められていた。

── 書籍に続き、映画も好評ですが、映画のスタッフひとりひとり(およそ40人)に手書きの手紙を送ったそうですね。

いつも、思いをきちんと伝えたいときは、手紙を書きます。今回の映画は私の宝物になりましたから、スタッフの皆さんにお礼を伝えたくて。言葉で言うとちょっとはずかしいようなことも、手紙なら温度を変えて伝えることができると思うんです。元々、字を書くことは好きで、“ビリギャル”だった時代も友人とよく手紙交換をしていて、授業中に先生に見つかって怒られたことも(笑)。昔から文章を手で書くことは、苦にはならないんです。

── それにしても、受験勉強に使ったノートは、密度が濃い! ほぼ文字で埋められて、なかには真っ赤のページもありますね。

社会人になるとPCがメインで、ノートを使うことはなくなりましたから、改めて見るとよくやったなと思います。当時、このキャンパスノートの5冊パックを3セット分は常備していました。初めの頃は、ページが書き込みや間違いの修正で真っ赤になるくらい、わからないことだらけだったんです。

── 英語と日本史に絞って勉強したそうですが、中でも日本史に苦労したとか?

はい。特に近代史が覚えられなくて。それで、自分で教科書をまとめなおしたのが、この“パワーアップノート”なんです。まる写しではなく、自分の理解と言葉を入れました。誰と誰が「仲良しになった」とか、「日本がピンチ!」だとかを読み取って、自分用に書き込んで。何度も見返すための、まさに自分のための教科書です。このノートは宿題や予習復習以外の時間に手がけ、苦手な部分は赤字にして赤のシートをかぶせたら消えるようにしました。本当に苦手だったので、確実に覚えたかったんです。

── そのパワーアップノートの表紙をめくると、最初のページに「慶應合格!」と決意が書かれています。

うわー、はずかしいですね(笑)。確か気分転換の落書き気分で書いたんだと思います。でも実際は、落書きとか表紙をかわいく飾るとか、勉強以外のことをする余裕はありませんでした。お気に入りのピンクのシャーペンを使って書き終えたノートは、ゆうに100冊を超えていると思います。

  • 苦手な日本近代史を自分用の教科書になるように再編纂した「パワーUP ノート」。よく見るとK・O(慶應)合格の文字が!

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  • 吹き出しが効果的。独自のカワイイ解釈でも、考えることで理解力と記憶力を高めている

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真っ赤に染まったキャンパスノート

── 1冊を数日で終えるペースですね……。そのうちの多くが英語の勉強ノートでしょうか?

ダントツです。たとえば単語を効果的に覚えるためには、ページの見開き両サイドに線を引いて、例文を真ん中に写し、重要な単語の意味をサイドに書き、坪田先生(『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』の著者・坪田信貴氏)に採点してもらう。こんなやりとりを続けました。すると、たまに先生がノートを指しながら「hydrogenは水素だね、じゃぁ酸素は?」なんて質問をするんです。答えられないと、ノートに赤で書き込んでおく。そんな軌跡が残っています。

── 長文読解用のノートは、本当に真っ赤です。

「長文は、速読するだけでは早くならない、単語がわからなくても推測するクセをつけろ」と言われて。長文のテキストを全部訳し、自分で採点して先生に確認してもらっていたのですが、まず主語や述語を見つけて線を引き、さらに区切りの斜線や単語の意味など書き込んで行く。私が読んだあとは書き込みでグチャグチャです。
でも手を動かすことは本当に大事で、そうしなければ頭に入ってきません。この練習で、たとえ単語がわからなくても、前後の文章で文脈が理解できるようになってきました。

── 手書きにすることで、頭の中で整理されていくのですね。ノートはすべて同じキャンパスノートですか?

すべて同じだと思います。やっぱりキャンパスノートには慣れていましたし、余計な線が入ってなくて使いやすい。5冊パックで買えるのも便利だし、青・緑・黄・紫・ピンクと色が違っているから「今日はピンクにしようかな」なんて。ノートは色ごとに使い分けてはいないのですが、気分転換になりました。

── 受験勉強時は、日記も付けていたそうですね。

坪田先生に「自分の中でモヤモヤしたものがあれば、日記にしないさい」と言われたんです。ある時、「私は勉強ばっかりなのに、男の子の話しかしない同級生がいてムカつく」と話したら、「その子のいい所を20個書いてごらん」と。その夜、日記に20個書き出したら、「案外いい子じゃない?」と思えましたよ(笑)。手で書くことで気持ちが整えられたり、頭の中が整理されることを実感しました。

── 坪田先生には、受験勉強以外のことも含め、さまざまなことを教わったのですね。本でも、先生やお母さんなど、さやかさんが大切に思った人とは強い繋がりがあることを感じました。

人と関わることが好きなんです。それは意識したことがなかったのですが、坪田先生に出会った時、「君は、いつも自分以外の人の話をしている。きっと人が大好きなんだね。それに、自分が思っている以上に愛される力をもっているから、きっと周囲の人に支えられていく。だから、いろいろな人に出会える大学を目指しなさい」と。その言葉で、慶應を目標にしました。就職のときも、またその言葉を思い出して「人に関わる仕事を選びたい」と強く思いました。

── そして見事慶應に合格し、現在はウエディングプランナーとしてご活躍中です。

サービス業を選んだのには、もう一つ理由があります。坪田先生から「大学生活では、勉強はしなくなるだろう。君は、たくさんの人に出会いなさい」と言われていました。その通り、勉強からは遠のきましたが(笑)、“出会い運”には恵まれました。もうひとりの師匠に出会えたのです。

  • さやかさんは単語帳を使わなかった。単語用ノートは例文までしっかり書き込まれ、欄外にも赤字がある

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  • 日本代表に求められる複雑な戦術が書き込まれている

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  • 自己流にアレンジされたノートでも、つねに筆圧が一定で読みやすく整った文字が特徴的だ

    自己流にアレンジされたノートでも、つねに筆圧が一定で読みやすく整った文字が特徴的だ

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もうひとりの師匠、登場!

── 本当は人と関わることが好きで、目標が定まれば努力をいとわないさやかさんの本質と、そのために周囲の人に愛されることを、坪田先生は感じられたのですね。

先生の予言には驚きました。下北沢の居酒屋でバイトを始めたものの、初日で嫌になって、翌日には当時の店長に「バイト料はいらないので、もう辞めます」と言ったんですね。すると、「1週間だけ耐えろ、サービス業をやりたいと思わせる自信があるから」と。めんどくさいなぁと思ったけど、卒業までの2年半、最後まで続きました! 辞める時も、まず携帯に手紙を書くべき人の名前をメモしておいて、スタッフみんなに手紙を渡しました。

── やはり、昔からさやかさんは「てがきびと」ですね。皆さんに感謝の気持ちを伝えたのですか?

10年近く経って、その手紙を当時の店長が見せてくれたのですが、「サービス業のすばらしさを教えてくれてありがとう。私は、このお店に優るサービスを提供できるようになります。そしていつか必ず、胸を張って仕事について語り合えるようになります」というような内容でした。私にとって、店長はサービス業の師匠だと思っていました。実は、その時の店長が夫です。

── ええっ! すごい“出会い運”ですね。

おつきあいすることになったのは、卒業して何年も経ってからなのですが、手紙を持っていてくれたことはうれしかったです。手紙には、こんないい面もありますよね。 坪田先生には、昔から「もう一人の師匠ができた!」と伝えていたのですが、結婚式前にお互いを紹介したときは、不思議な感じがしました(笑)。

── 今のお仕事でも、手紙のやりとりは多いと思うのですが、どうでしょうか。

はい。結婚式が終わってお見送りする際は、最後に必ず手紙をお渡ししています。そのお返事などをいただくことも多いですね。手紙を入れる宝箱を作ったのですが、もう閉まらないくらいです。
プランナーには、仕事とプライベートの一線を置きたい人が少なくありません。仕事柄、深くつきあおうと思えば、キリがありませんから。ですが、私は、式が終わったあともおつきあいできるような関係がうれしいですね。

── お話を伺っていると、人とのかかわり方や、思いを手紙で伝えることは“ビリギャル”時代から変わらないように感じます。

せっかく出会えた方と「はい終わり、さようなら」というのは嫌ですね。長くおつきあいしたいですし、思いは自分の手でつづりたい。メールは使いますけど、ブログなどの顔も知らない不特定多数の人に向けて書くのは苦手です。小心者だからかなとも思いますが、知らない人に見られることに違和感を感じますね。誰に向けてのメッセージなのかは、とても大事だと思っています。

── もしかしたら、受験勉強のノートは、ご自身へのメッセージを込めてつづられたのでしょうか?

まさに、そうだと思います。自分への手紙ですね。日本史の内容は忘れ去りましたが(笑)、これからもずっと手元に置いておきます。

── 最後に、今も日記は書いているのでしょうか?

ズボラですが、たまに自由な気持ちで書いています。今27歳で、そろそろ子どもがほしいと思っているので、もし赤ちゃんに恵まれたら、ママ日記は必ず書こうと思います。

  • 人の名前や固有名詞が苦手だったからこそ、歴代首相の名前もすべて漢字で書いて覚えた。コメントがキュート!

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  • 「字をほめてもらえるのは、習字を少し習ったことと、もしかしたら字が上手な父に似たのかもしれません」

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  • さやかさんとその母・ああちゃんが執筆した、『ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話』(KADOKAWA アスキー・メディアワークス)。“ビリママ”の物語は、母の改心と娘を信じぬく勇気が感動を呼んでいる。

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2015年7月3日

さやか(ビリギャル/小林さやか)

『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(坪田信貴・著)の主人公=ビリギャル。1988年3月生まれ、名古屋市出身、東京都在住。中学、高校で学年ビリを経験し、高2の夏に小学4年レベルの学力しかなかった。当時の全国模試の偏差値は30弱。中学時代は素行不良を理由に停学になり、学校の校長に「人間のクズ」と呼ばれたことも。塾講師 坪田信貴氏との出会いを機に、1年半での日本最難関レベルの私大、慶應義塾大学の現役合格を目指すことになる。結果、1年で偏差値を40上げて、複数の難関大学のほか、慶應義塾大学に現役で合格を果たした。その後、ウェディングプランナーとして活躍し、2014年に結婚。

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 第1号「こだわりを書く人」 みうらじゅん
 第2号「勝利への道を書く人」 田中雅美
 第10号「アイデアの源泉を書き出す人」 荻上直子
 第12号「超越への道のりを書く人」 片山右京
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