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その人は、夢を手で書き実現する。「てがきびと」

第8号 「表現の可能性を書く人」ケラリーノ・サンドロヴィッチ

ナンセンスギャグの先にある可能性を求めて。手書きされた台本には、演劇のこれからがありました。
第8号 「表現の可能性を書く人」ケラリーノ・サンドロヴィッチ

「やあ、どうも」と気さくな雰囲気で現れたケラリーノ・サンドロヴィッチさん、愛称KERAさんは、黒い表紙のリングノートと製本された台本、手書きの元原稿、それに愛用の万年筆2本とインクを机の上に並べてみせた。

── これですね、手書きで書いてらっしゃる台本っていうのは。

うん、これは、たまたま残ってたやつ。僕ねえ、元原稿って捨てちゃうんですよ、取っておかないで。

── え、なんか、もったいない気がしますけど。

これは20分くらいのコントだから、まだ短くて原稿用紙で21枚。だけど長いと200枚超えるし、差し込みやら差し替えやらでもうグチャグチャになるんですよ。ひどい時は稽古場で稽古が進んでるのに僕は家で台本書いてて、「あ、さっきのやっぱり、なし」なんて調子でファックスで送ってる。どんどん変わっていくんですね。そうすると順番なんか分かんなくなっちゃって。

── なるほど、緊迫感を感じます。書くのはいつもこの原稿用紙で?

ええ。今、なかなか売ってないんですよ、原稿用紙って。使う人少ないからかなあ。

── 万年筆は、ちょっと太字のほうが好みですか?

そう、細字と少し太いのと2本ですね。でもやっぱり、太いほうを使うことが多いなあ。これは国産のだけど、なんでモンブランあたりを使わないかというとね、インクがカートリッジ式じゃないとダメだから。だって、書いてる途中で吸い上げたりしてる場合じゃないもの。

── あはは、分かります、スピード最優先ですもんね。この原稿用紙と万年筆だと滑りもいいんでしょうね。

万年筆はね、僕の奥さん(注 女優の緒川たまきさん)が職人さんのところへ持ってって、ペン先を馴染ませてくれるんですよ。彼女、そういうことが大好きで(笑)。

── なるほど、それならすごくペンの走りが良さそう。筆圧って強いほうじゃないですか?

うん、強いですね。感情が入るとさらに強くなる。昔はね、手書きの台本をそのままコピーして配ってたんです。そうすると役者たちは字の太さや大きさで、このセリフはどう読めばいいか、分かったみたい(笑)。

  • とってもフレンドリーな、KERAさんでした

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  • 奇跡的に残っていた手書きの台本。『親族代表』が演じたコントです

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喜劇に浸っていた幼少期から、次は音楽の世界へ

── KERAさんって、小さいときから喜劇に浸ってたんですよね。チャップリンから始まってキートン、ハロルド・ロイド、そしてマルクス・ブラザース。それっていつ頃のことですか?

チャップリンが小学校4年で、マルクス・ブラザースは、中学1年くらいのことですねえ。その頃ってもちろんビデオもないし、たまにデパートの催しで「喜劇の王様たち展」みたいのでやってるくらいでね。

── それをKERAさんはフィルム借りてきて上映されてた。

自主上映ですね。マルクス・ブラザースって映画は全部で13本しかないんだけど、字幕も入ってない海外の16ミリフィルムを借りてきて。

── 実は僕の友達が大好きで、一緒に観た覚えがあるんです。そいつは「マルクス兄弟主義」てのを唱えてて。

ああ、大学生が多く観に来てくれてました。大体、その頃から付き合うのって年上の人が多かったなあ。年齢、サバ読んでんじゃないかって言われてた(笑)。

── 確かにマセたお子さんだと思います。環境がそうだったのかしら?

うちの父親はジャズ・ミュージシャンだったんですけど、なんだか近所に喜劇人の方がいっぱい集まってましてね。大御所の森川信さんや、八波むと志さんは僕が1歳のときに亡くなったけど『脱線トリオ』の由利徹さんや南利明さん、その他、今では名前も残ってない方たちが集まっては麻雀やってたり。まあ、親父も含め、ろくでもない、パンクな人たちですよね(笑)。

── そんな中で喜劇に惹かれていったと。

僕、喘息だったんです。友だちが外でキャッチボールやってるとき、僕はそれが出来ない。だから、そういう、父の友人のおじさんたちが出てるテレビを見たり、本ばかり読んで過ごしていました。

── で喜劇の世界へそのまま向かうのかなと思ったら、次は音楽だったんですね。最初から『有頂天』のような音楽性でした?

そうです。79年から80年ってYMOのテクノポップが全盛でね。今でも大好きな鈴木慶一さんの『ムーンライダーズ』なんて、ある日突然、皆、髪の毛切っちゃって、翌週には全く違うアレンジでやってるんです(笑)。僕はそこから逆行するようにニューウェーブ、パンクへと興味が向かって行ったんですね。ところが82年になると、音楽の世界がまたもやガラリと変わる。あれだけ騒いでいたのに、テクノやニューウェーブなんか無かったもののようにされてしまった。

── そうでした、そうでした。

だからあの頃、『有頂天』みたいなバンドは皆無なわけですよ。それに対して、いや、あったんだよと擁護する為にバンドをやってたようなものです。『ディーヴォ』なんて言うと、もう恥ずかしいんだから(注 70年代のアメリカのニューウェーブ・バンド)。

── いきなり、変わっちゃいましたもんねぇ。

ねえ。3年違うと、もう、めちゃくちゃカッコ悪い。当時、ツバキハウス(注 新宿にあったニューウェーブ系ディスコ)は火曜日がロンドン・ナイトで水曜日がハードロックとか決まってるわけですよ。ロンドン・ナイトなのにメタルな格好で行ったりしたら周囲の客全員から白い目で見られる。僕なんか、学ランで行きましたけど。

── 学ランですか?

エルビス・コステロ(注 ロンドン出身のミュージシャン。初期はパンクだった)が日本に来たときに、物凄く気に入って着てたんですよ。だから僕も(笑)。それでもとっても自由な気がしたな。後でも先でもない、あの時代だったから今の自分があるようにも思えます。何年かズレてたら、きっと違うものになってた。

  • こういう具合に直しが一杯入ってますが、実に味のある手書きです

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  • イラストもお得意。これ、のちにパンフレットに使われました

    イラストもお得意。
    これ、のちにパンフレットに使われました

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学んだ映画界ではなく、演劇への第一歩を

── 高校出てからは映画の学校へ入られましたよね。演劇ではなくて、まず映画だったんですか?

映画はやりたかったんです。でもね、当時の映画界には、なんだか希望が持てなかった。日本映画っていうと、その頃はまだ洋画に比べて安っぽいものという扱いで、上映も2本立てだったし。メシを食ってくには遠い道のりだなあ、と思ってました。

── ふむ、では何かきっかけが。

うん、ふと周りを見てみると『ワハハ本舗』が旗揚げしてる。そして『ラジカル・カジベリビンバ・システム』がいる。調べてみると、いとうせいこう、そして宮沢章夫という天才がいる。で、やってることはモンティ・パイソンのライブ版。これだ!と思いましたね。

── それで『劇団健康』の誕生ですね。役者さんは、どうやって集めたんです?

いや、皆、ミュージシャンですよ。みのすけも犬山もミュージシャンとして知り合った。大槻ケンヂとか石野卓球、ピエール瀧達にも出てもらってたしね。田口トモロヲさんぐらいかな、すでにアングラで役者さんやってたのは。

── ええ! 当時、ピエールさんたちって高校出たてでしょ? 静岡で『人生』ってバンドやってたんですよね。

ええ、僕が東京出て来いよって誘ったわけで。

── いやあ、でも、それはKERAさんに物凄い求心力があったからじゃないかなあ。

いやいや、その頃は、僕も含めて将来のことなんて考えてないですから。楽しければいい、って感じで。30過ぎてからだなあ、そろそろ皆、大人なんじゃない?って思い始めたのは(笑)。

── ともかくも、こうして演劇人としての人生が始まったんですね。

だけど、僕がその頃、ホントにやりたかったのは芝居じゃないんです。「笑い」をやりたかった。それもお笑いの人たちのように5分~10分のものじゃなくて、トータルなショーとしての笑い。でもね、ラジカルみたいなものはとても書けない。力技でやってみると出来損ないのワハハ本舗になっちゃう(笑)。まあ、バンドのお客さんを担保にしてたから、とりあえず客席は埋まるんだけど、いわゆる小劇場のお客さんとは明らかに違う。その後、福岡から出てきた松尾スズキの『大人計画』とやたら抱き合わせで語られ始めたあたりから、サブカルチャーで面白いものがあれば何にでもワーッと集まってくる人たちが増えて。そう、『宝島』の読者みたいなね。

── あ、『宝島』の読者っていう表現は良く分かります!

うん、それでも僕たちは独自のポジションだった。演劇で勝負するわけじゃない、って思ってたんです。同じ土俵で戦う気持ちもなかったし。それが変わったのは『健康』始めて3~4年めだったかな、父が亡くなるんです。もう長くはないと言われていたんですけどね。ちょうど稽古と重なって、しょうがないから演出は手塚とおるに任せて、僕は病院で台本を書いてた。

── お父様を見守りながら?

コメディなんですけどね、目の前に死んでいく人間がいるのに、僕はそんな本を書いてる。ある意味、残酷ですよね。そのとき、腹をくくった感はあった。ああ、こんなことが出来たんだから、僕は一生これで喰っていくんだなって。

  • 犬山イヌコさんとの公演チラシです。KERAさんと犬山さんのイラスト入りで楽しさ一杯!

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手書きの醍醐味はスリルである!

── その後、『ナイロン100℃』を旗揚げされるんですね。

実は笑いに行き詰まってましてね(笑)。ナンセンスって上手くなればなるほど、何がおかしいのか分からなくなって来ちゃうんです。例えばね、ここにコーヒーがある、そのことが一番おかしいのだ、とか(笑)。ひねってひねってを繰り返している内に、ナンセンスギャグと単なるナンセンス、不条理の境目は非常にデリケートになる。それで笑える人と、ただ気持ち悪いとしか感じない人が出て来るんですね。このままでは狂ってしまいそうだった。だから、もう少し幅を広げて演劇をやろうと決めたんです。

── 今や押しも押されもせぬ人気劇団ですが、多いときは年に4~6回は公演やりますよね。その台本って、どうやって書くんです? 綿密なコンテを立てるとか?

いや、コンテは書かないですね。箱書き(注 シーンごとに要点をまとめたもの)もしないし、出来ればシノプシス(注 演劇の粗筋、梗概)も書きたくないくらい(笑)。シノプシスはキャスティングの交渉のためのものですね、僕の場合は。

── え、じゃあ、どうやるんです?

元々、ストーリーで面白くしようとは思ってないんですね。それよりも世界観なんです、僕の書く台本に大切なのは。

── そうか、世界観を粗筋で述べようとするとつまんなくなっちゃう。

というより、説明できる材料がない(笑)。僕は書きながら考える、といいますか、悪く言えば行き当たりばったりなんですけど、最初の10枚が次の1枚目を産んでくれるというタイプなんですね。書いてるうちにどんどん変えたくなっちゃうし。例えば最重要人物だったはずなのに、最初の20分で死んじゃう。あ、やっぱりそっちのほうがいいや、って。若き日の黒澤明監督が「僕は神様じゃないんだから、登場人物がどうなるかなんて分からない」て言ってて、ホントにそうだなあと(笑)。

── では一番最初に書きつけることってなんでしょう?

相関図ですね。これはもう死ぬほど書きます。そのパターンも昔は3つくらいだったのが年々増えてきて、今では、一本の芝居を書くのに相関図だけでこのリングノートの半分くらい使っちゃう。

── 相関図だから矢印とか使って?

そうですね。付箋を貼ることもあります。登場人物それぞれのドラマを縦にして、それをどういう順番で見せるか、こっちを先にしちゃうと驚きが少ないな、とかね、パズルみたいにやるわけです。これに圧倒的に時間を掛けますね。

── 登場人物が多いから、そりゃ大変です。

一昨年の暮にやった『祈りと怪物』っていうのは10何人出て来る群像劇で、2回の休憩を挟む4時間の芝居なんですけど、このとき初めて、全ての人物が着地出来たという実感がありました。それまで必ず何人かは上手く着地できなかったんですが、ようやくそれが出来た。あの作品が、自分としてはひとつの到達点だなと思ってます。

── そうやって世界観と相関図を作り上げ、さていよいよ、原稿用紙に向かうわけですが…あの、パソコン使おうと思ったことありません?

だって打てないもの(笑)。いや、きっと練習すれば出来るんでしょうけど、「Yがない、Yがない。ダメだ、このパソコンにはYのキーがない!」と大騒ぎする始末で(笑)。だからメールなんてもらっても、1週間くらい開けなかったりします。あ、短い文章ならメールすることもありますよ、ガラケーでですけど。

── 徹底した、てがきびとでらっしゃるんですねえ。

鈴木慶一さんとインタビュー受けて、その原稿が確認用に送られて来たんですけど、慶一さんの部分は素早く赤が入って送り返せてる。だけど僕はまずプリントアウト、それも奥さんにしてもらって(笑)、それから手書きで直しを入れて、ファックスで送る。

── そりゃ、相手も大変だ。

タバコみたいなもんですよ、昔は自分のカラダだけ心配すればよかったのに、今じゃ迷惑がられる存在。なんだか悪いことしてるみたいな(笑)。「手書きなんですかあ?」「うち、ファックスないすよ」なんて言われてね。

── そうか、メールに添付して送るから、ファックスって使わないんだ!

で、しょうがないから誰かファックス持ってる人探して、ようやく送ったら送ったで電話がかかってきて「このページの、この行は何て書いてあるんですか?」(笑)

── 読みやすい、味のある字だと思いますけど。それに手書きでいただけたほうが嬉しいけどな。

活字で打たれてると、なんか、ありがたみがないですよね。玉稿をおあずかりします!みたいな(笑)。去年、小劇場の若手を集めて小さい劇場で公演したんですけど、その時手書きの台本の一部をコピーして配ったんです。そしたら、ありがたそうに、しばらくジーっと見てる(笑)。差し替えても捨てないで持って帰るんですよ。僕ね、出だしやト書きって、何回も書き直すんです。どういう順番で出そうかとか、少しもったいつけた文学的なト書きがいいか、それともぶっきらぼうにいきなりセリフから書き出すか。たまにト書きで遊んでみたりもする。作者の主観を入れてみたり。「筆者はこう思っているのだが、しかし残念ながら…」とかね。そういうのが楽しいんです。ト書きは観客は見ないんですけどね、でも現場の雰囲気作りにつながる。

── パソコンだと差し替えたり、添削するには楽なんですけどね。

パソコンで書くと「どうせ直せるし」と適当にやっちゃいそうなんですよ。きっとなかなか本気で書けない。それに最初から活字で打たれたものって、なんだか客観的に見えるんですよね。もちろん客観的な眼も必要なんだけど、主観がないとダメだと思う。

── そうですね、今どきのライターも、とりあえず書き始めちゃう。それに最初から活字だと、間違いもそのままスルーしがちです。

そうそう。実は間違ってるかもしれないよ、というスリルがない。手書きの感覚って、そういうスリルがあるんだな(笑)。ただ、経済的に考えると大変なんですよ。僕の台本を打つためにバイトを雇わなくちゃならないこともある。それもいつ上がるか分からない。夜中の3時半にファックスが送られてきて、さあ、1時間以内に打って仕上げて返送しなさいなんて。僕らはそういう「常に非常事態」みたいな状況って、すごく楽しんだもんだけど、今の若い人たちにはしんどいみたいです(笑)。

── じゃあ、この先も手書き台本というスタイルは変えないと?

うん、もう、ここまで来たらね。書きながら考えるというスタイルも含めて、経験則として、これが一番自分に合ってると知ってますからね。

2014年3月20日

  • 製本台本になると、こんな感じ

    製本台本になると、こんな感じ

  • 公演『パン屋文六の思案~続・岸田國士一幕劇コレクション~』は、2014年4月10日(木)~5月3日(土祝)青山円形劇場にて

    公演『パン屋文六の思案~続・岸田國士一幕劇コレクション~』は、2014年4月10日(木)~5月3日(土祝)青山円形劇場にて

  • 奥様の緒川たまきさんも、KERAさんの舞台には欠かせません。もちろん、次回公演にも登場。2007年上演の「犬は鎖につなぐべからず」(作:岸田國士)より。

    奥様の緒川たまきさんも、KERAさんの舞台には欠かせません。もちろん、次回公演にも登場。2007年上演の「犬は鎖につなぐべからず」(作:岸田國士)より。

  • パン屋文六のチラシより、うう、面白そう!

    パン屋文六のチラシより、
    うう、面白そう!

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ケラリーノ・サンドロヴィッチ

劇作家、演出家、映画監督、ミュージシャン。

1963年1月3日生まれ、東京都出身。1982年、ニューウェーブバンド・有頂天を結成。並行して85年に犬山イヌコ(当時は犬山犬子)、みのすけらと劇団健康を旗揚げ、演劇活動を開始する。92年の解散後、翌93年にナイロン100℃を始動。99年には『フローズン・ビーチ』で第43回岸田國士戯曲賞を受賞。以降、数々の演劇賞を受賞。近年、舞台活動では劇団公演に加え、KERA・MAP、オリガト・プラスティコ、空飛ぶ雲の上団五郎一座などのユニットにも主宰、参加するほか、外部プロデュース公演への参加も多数。近作、Bunkamuraシアターコクーン『祈りと怪物~ウィルヴィルの三姉妹~』(作・演出 蜷川幸雄氏との演出バトル企画)、『東京月光魔曲』『黴菌』(作・演出)、cube presents『奥様お尻をどうぞ』(作・演出)、オリガト・プラスティコ『龍を撫でた男』(演出)などがある。近年の映像活動として、初監督映画『1980』(03)、『おいしい殺し方』(06)、大槻ケンヂ原作『グミ・チョコレート・パイン』(07)、『罪とか罰とか』(09)の脚本・監督を務め、TVドラマでは『時効警察』(EX/第8話)『帰ってきた時効警察』(EX/第4話)などがある。音楽活動では、バンド「ケラ&ザ・シンセサイザーズ」でボーカルを務める他、2013年には鈴木慶一氏とのユニット「No Lie-Sense」を結成しレーベル「新生ナゴムレコード」を始動。第一弾アルバム「FirstSuicideNote」が好評発売中。2012年より、岸田國士戯曲賞、選考委員を務める。2007年 第14回読売演劇大賞最優秀作品賞(「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない?」にて)

ナイロン100℃ 41st SESSION
『パン屋文六の思案~続・岸田國士一幕劇コレクション~』

2014年4月10日(木)~5月3日(土祝)/青山円形劇場 チケット発売開始:2014年2月22日(土)
作:岸田國士 / 潤色・構成・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演 みのすけ 松永玲子 村岡希美 長田奈麻 新谷真弓 安澤千草 廣川三憲 藤田秀世 吉増裕士 眼 鏡太郎 /
猪俣三四郎 水野小論 伊与勢我無 菊池明明 森田甘路 木及江祐希 /
藤原聖人 緒川たまき 植本 潤 小野ゆり子 志賀廣太郎
公演詳細ページはこちら http://cubeinc.co.jp/stage/info/nylon41th.html

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てがきびと一覧

以下の掲載は終了いたしました。
 第1号「こだわりを書く人」 みうらじゅん
 第2号「勝利への道を書く人」 田中雅美
 第10号「アイデアの源泉を書き出す人」 荻上直子
 第12号「超越への道のりを書く人」 片山右京
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