テーブルの上にドサリと乗った、キャンパスノートの山。その数、ざっと100数冊。ぜ~んぶ、A4サイズの、型番で言うと「ノ-201A」という同じシリーズである。
── すごいですねえ、今、107冊目でしたっけ?
いや、110冊目ですね。
── あ、ホントだ。表紙にナンバーが振ってあります。この内の104冊目までが本になったんですね?
そう。本に使った紙もね、実はキャンパスノートと同じような紙なの。
どれどれ、と分厚い『青木淳ノートブック』(平凡社)を覗かせていただくと…うひゃあ、各ページにキャンパスノート16ページ分がびっしりと、104冊そっくりそのまま収録されている。文字もスケッチも小さくてよく読めないけど…。
でもね、最後のページにほら、こうやってちゃんと拡大用プリズムレンズが付いてるんです。
── 失礼しました。何事も最後までちゃんとやり通さないといけませんねぇ。それにしても不思議な本です。このノートは青木さんが建築やデザインのお仕事に関わるいろんな事柄を、毎日スケッチしたりメモしたりしたものでしょ。それをまんま、まとめたわけですよね?
うん、建築物や原稿を集めた、いわゆる「全仕事」って本でもないし…。なんでしょうね?
── なんだか、「青木淳 全脳内」って感じがしますけど。
うんうん、そうかも。
間取り図マニアな小学生
── その青木さんの脳内に、とっても興味があるなあ。聞くところによると、子供の頃、ガウディの写真を見たのが強烈な印象だったんですって?
中学校の図書館で偶然見たんですよ。びっくりしたなあ。本当にこの世にこんな建物があっていいのかと。子供ですからね、これぐらい極端じゃないと違いが分からなかったんだろうなあ。それからというもの、街で見かける建物が、なんてつまんないだろうって。でもこんな仕事なら、やれるかもと思った。
── すでに建築家の芽生えを感じますねぇ。では、小学校の頃から絵が得意だったとか?
ええ、絵を描いたり見たりするのは好きでしたね。新聞のチラシによく入ってる家の図面ってあるでしょ?
── ああ、あの1階がこういう造りで、2階はこうで、ってやつですね。
そう、間取り図。あれ、見るの好きだったな。楽しいんですよ。
── 小学生にしては変わってます。
それでね、母親の誕生日に何かプレゼントしたいと思ったんです。だけどお金がない。自分のお小遣いは出したくないし。だから間取り図書いてあげたの。方眼紙に定規使って。「いつか、こんなお家建ててあげるからね」って。
── 素晴らしい、小学生にして、すでに建築家です! さぞ、斬新なアイデアだったんでしょうね。
いや、ぜんぜん。ただ、今でも取ってあるんですけどね、日本の古い家みたいっていうか、真ん中にお座敷があって、その周囲を板張りの廊下がグルっと囲んでる。
── わ、古民家だ、まるで。建てて差し上げたんですか?
いいや。
── ま、やっぱり斬新すぎますかね。
でその後、中学のときに今度は自分の誕生日に、父親から「何が欲しい?」って聞かれてね、「建築雑誌」って答えたんです。
── 建築雑誌?
その少し前に、今思えば『建築文化』だったんだろうなあ、ものすごくスタイリッシュな写真入りの雑誌を見てね、もう欲しくてしょうがない。
── 分かるなあ、カッコイイイですもんねぇ、そういう雑誌。
ところがね、父親が買って来たのはハウスメーカーの、不動産雑誌。もう一気に熱が冷めそうでしたね。
── 完全に冷めなくて良かったです。で高校の頃は、ロックに夢中だったんですよね?
バンドやってました。
── どんな曲を? パートは何だったんです?
レッド・ツェッペリンを…僕はギターでした。
── いいですねえ~。青木さんの建築に自由な雰囲気を感じるのは、ロックのせいじゃないかな。
それは随分、こじつけだなあ。でもね、大学の課題で図面書いてる時、自分を励ますのは、確かにロックや大音量で聴く音楽でしたね。既成概念なんて「こんなものくらい、壊せるよ」ってね。
イメージは『アフリカの女王』
── 大学は東大の建築学科から大学院まで行かれたんですね。
建築学科では課題が毎回出されてね、架空の土地に、図面を書いて建物の模型を作るわけ。これが楽しいんです。もう、文字通り、寝食を忘れて打ち込んだなあ。それまでで、こんな楽しい経験したことがなかったというくらい。
── 進路は間違ってなかった!
でも、設計は楽しいんだけど、あとは全然ダメ。
── あとは、とおっしゃいますと?
授業には他にもいろいろあるんですよ、構造とか空調とか歴史とか鉄とか…。でも当時は学園紛争の末期でね、東大建築学科には必修科目というのがなかった。だから僕の卒業設計なんて、設計は100点だけど、他の構造やなんか全部0点ですよ。それでもOKだったの。こういう奴はよっぽどすごいかダメか、どっちかだから賞をやっとけ、と。いやホントです、それでもらったの。(注・1980年度東京大学卒業設計賞)
── 大学院出てから磯崎新さんの事務所へ入られて、やっぱり大きかったのは水戸芸術館じゃないですか? あれって初めて見た時、驚いたなあ、DNAかと思いました。
あれは磯崎さんの設計で、まあ僕は担当させてもらったわけだけど、DNAって二重螺旋でしょ? 水戸は三重なんですよ。
── あ、そうか!
塔ってね、基本的に3種類あるの。まずピラミッドのように上がすぼまってる、「上に指す」もの。それから展望台みたいに何か載っかってて「上に行く」もの。それから彫刻に多いんだけど、「無限に上に伸びていく」もの。水戸は、その3つ目のイメージですね。
── わあ、そう聞くと建築って、にわかに面白くなるなあ! でも、青木さんご自身の設計って、逆に下は狭くて上が広がってるのがあります。例えば潟博物館なんてそうですよね。
ニューヨークのグッゲンハイム美術館へのオマージュ。 あれが評判が悪いのは、螺旋のスロープで登って行くから、絵が全部斜めに掛かっているように見えてしまう。でもちゃんと認知されて、ずっと残ってるわけですね。潟博物館の場合は、絵でなくて、まわりの湿地がだんだん上から見えてくる。それを大事にしたかったんですね。
── その土地を活かすってことですね。
『アフリカの女王』って映画でね、ハンフリー・ボガードとキャサリン・ヘプバーンの…。
── おお、『アフリカの女王』! やっぱり、映画もお好きなんだ。
あ、知ってる、あの映画? 途中のシーンで、二人がボートの上で天を仰いでて、そこは周りが葦や何かの草で迷路みたいになってて全然見通しがきかない。でもカメラがどんどん俯瞰で引いていくと、一本隣には河が開けてる。そういうのが潟の正しい見方だって教わった。エレベーターで登って見える景色じゃ興醒めでしょ? だんだん、登って行かなきゃ。
── なるほどねえ! 実は勝手に想像していたんですが、青木さんは建築家になってなかったら、もしかして作家か物書きになりたかったんじゃないかと。
どういうわけか、原稿は大学院の頃から頼まれたんです。たとえば、『新建築』って雑誌で、午後4時くらいに編集部に行ってね、誌面に目を通して、その場で1600字で「月評」を書くわけです。僕以外に3人いるんだけど大御所で、皆、原稿が早い。6時とか7時には終わってる。編集部の人が食事に連れてってくれるんですが、「すみません、あとで必ず仕上げますから」って言って許してもらってた。だから店でお酒飲むわけに行かなくて…。
── その頃って手書きですよね?
もちろん。パソコンなんてまだないもの。家に帰って原稿用紙に書いては捨て、書いては捨て、とやってましたね。だからワープロ出たときは、すぐ飛びついた。
── え、ワープロは使ってらっしゃったんだ!
かなり初期のものから使ってますよ。書いた原稿用紙を捨てないで、編集できるようになったのが嬉しかったなあ。
全ての思考は時系列である! ノートもまた然り!
── じゃあ、このノートたちとはいつからのお付き合いなんです?
磯崎さんの事務所で働き出して、最初はスケッチブックに図を、文章はノートに、スケジュールは手帳にって使い分けてたんです。でも社会人って、実はあんまり書くことがない。打ち合わせのメモを書くくらいで。
── そう言われれば、そんな気もします。
でも91年に独立して、考えたんです。よし、システム手帳を試してみようと。
── 流行りましたねえ、fILOFAXとか。僕も持ってました。
文章はこの紙で、絵はこの紙で、なんて使い分けてね。どんどんリフィルしていっちゃう。
── そうそう、僕なんか電卓まで挟んじゃって、デブになりすぎて持ち歩けない。
結局、何がどこにあるのか分かんなくなってきて、これは違うなと。僕はTime/systemというのを使ってみていたんだけど、これでも僕にとってはサイズが小さすぎるし。
── A4って訳にはいかないですもんね。
そんな時に「あ、全部ノートに書けばいいんだ」と思って、近所の文房具屋さんで買ったのが、最初のキャンパスノートだったのね。これがその第1冊目なんだけど…。
── うん、日付が92年4月1日になってます。
この一番初めのメモはね、当時、一緒に仕事しようと思ってた相手のスケジュール。で次のページは…あ、これは斜面の図案だな。斜面をこのまま使うと予算オーバーだから、どうすればいいかというアイデア・スケッチ。でさらに次のページは、それを基にした図面。次のこれは…ああ、思い出した。雑誌で見たんだけど、軍用機のコクピットにある飛行経路を示すデジタル画面ですね。
── ホントに、これ1冊に全部書いてあるんですね。
そう。字でも絵でも表でも、何でもこれだけで出来ちゃう。
── しかも時系列というか、ジャンルごとに分けないで、どんどん書いて行ってます。
うん、クロノジカルに続けているんですね。もちろん、プロジェクトごとにノートを分けてもいいんだろうけど、そうすると2~3行で終わったりして。ノートの数だけ増えて、結局、また、どこにやったか分からなくなる。
── 青木さんの場合、建築以外にもいろんなお仕事をやってらっしゃるけど、その思考は全て、青木さんの頭の中で連続している、ということなんじゃないでしょうか?
そうかもしれない。それにこのノートだと気軽に書ける。スケッチブックだと、開くと真っ白でしょう? なんだか緊張するんだな。
── そうして早くも110冊目。
うん。それにね、うちの事務所では、キャンパスノートは支給品だから。
── え?
キャンパスノートは全員使ってるの。個人の発想やアイデアはこれに書き込んで、打ち合わせの時はデスクに広げあって進めてね。でその後、共有すべき事項や図面はコンピュータに入れるわけ。
── じゃ、いつもまとめ買いしていただいてると?
20冊とか30冊とかね。あ、これはね、事務所設立20周年を記念して、元スタッフや現スタッフが作ってくれた特別製のキャンパスノート。
── おお、表紙の水引が青木さんのお顔になってます! それに紙の端が金箔押しだ!
どうしても、ひとつ前の世代のキャンパスノートで作りたくて、探しまわってくれたんだって。それで印刷屋さんに頼んで作ってもらったんです。
── そこまで気に入っていただいてる理由は何なんでしょうか?
まず、A4というサイズ。広げて見開きでA3になる、このサイズがいい。そして字だけじゃなくて絵も描くから、1冊40枚綴りなくちゃ困るんです。だけど最大の理由はね…
── 最大の理由は?
キャンパスノートってベーシックなの。使うのに全くストレスがない。おそらくそれを狙って作ってるんだろうけど、本当にスタンダードなんですね。そこが使いやすい。言葉と同じ、と言ってもいいかもしれない。意識しないで便利に使ってるでしょう、言葉って。
── わあ。有難き、お言葉です。では設立25周年記念ノートは、ぜひコクヨ側で制作いたしましょう。って僕が言うのもなんですが…。
あはは、ぜひ、よろしく!
青木 淳
建築家
1956 | 神奈川県横浜市に生まれる |
---|---|
1976-80 | 東京大学工学部建築学科(工学学士) |
1980-82 | 同修士課程修了(工学修士) |
1983-90 | 磯崎新アトリエ勤務 |
1991 | 株式会社青木淳建築計画事務所設立 |
www.aokijun.com |
てがきびと一覧
- 第15号 「溢れる好奇心を緻密に書く人」山本健太郎
- 第14号 「揺るぎない意志を書く人」小林さやか
- 第13号 「ザックジャパンの真髄を書く人」矢野大輔
- 第11号 「美文字の楽しさを書く人」日ペンの美子ちゃん
- 第9号 「IT依存の危うさを書く人」山本孝昭
- 第8号 「表現の可能性を書く人」ケラリーノ・サンドロヴィッチ
- 第7号 「試し書きで夢を描く人」寺井広樹
- 第6号 「新しいお笑いを書く人」笑い飯:哲夫
- 第5号 「人生の俯瞰図を描く人」松沢哲郎
- 第4号 「脳内のすべてを書き連ねる人」青木淳
- 第3号 「コミュニケーションを図解する人」 多部田憲彦
以下の掲載は終了いたしました。
第1号「こだわりを書く人」 みうらじゅん
第2号「勝利への道を書く人」 田中雅美
第10号「アイデアの源泉を書き出す人」 荻上直子
第12号「超越への道のりを書く人」 片山右京